虐待からの再起『自分で道を拓き夢を叶える3つの方法』
燦々の太陽を求めて
この後引用する約5,700文字は、タイトルにあるように「働きながら学ぶ青少年の未来と希望を育てよう」という理念の元に、公益財団法人 全国高等学校定時制通信制教育振興会が出版する、定時制および通信制の高等学校を卒業した者の手記としての寄稿です。
全国で約10人の方の寄稿が1冊の本になります。母校の校長先生のご推薦でこの機会をいただき、今回、高知県では私一人の掲載になるかと思います。
全国の定時制・通信制高校・その卒業生が働く事業所・公民館を始めとする社会教育機関に配布されます。
働きながら学ぶ若者は大変です。家庭が経済的に厳しく仕事をしながらであったり、家庭問題や学校でのいじめなどで、不登校や心身不調を経験していたり、障害や持病など困難を持ちつつ、学んでいる学生は多いです。
そんな勤労青少年や若者を励ますため、同じく通信制や定時制高校を卒業した先輩として、自分自身の苦労を乗り越えた経験など半生を綴るというのが今回の執筆依頼の主旨です。
諦めなければ必ず道は拓ける
現在の私は、45歳。仕事は産業カウンセラーとキャリアコンサルタント資格を主に役立て、様々な方の相談に乗ったり、講師をしています。
執筆依頼の主旨に則り、私自身の半生と、日頃、相談・講演などで伝えていることをお伝えいたします。
伝えたいこと3つ
①諦めなければ必ず道は拓ける。
②人はいつからでも変わることができる。
③夢をもつこと。それを語ることの大切さ。
私は、講演で必ずこの3つを伝えます。とても大事にしている言葉であり、信念です。自分の人生を振り返ってみると、この3つをして来たから今の私があるとしみじみ思います。
諦めなければ必ず道は拓ける
まず「諦めなければ必ず道は拓ける」ですが、キャリアコンサルティング(職業や人生の相談)の技法に「自己概念に名前を付ける」というものがあります。
私の自己概念は「すみれ」です。すみれの育つ環境に意味があり、全く土のないアスファルトの地面を割って毎年近所で満開に咲くすみれです。
私は凄惨な虐待を受けて育ち、義務教育を受けることもできませんでした。ですが、こうして文集にも寄稿する機会をいただくことができています。「諦めずに行動し続けたから道が拓けた」のです。
人はいつからでも変わることができる
次に「人はいつからでも変わることができる」です。10代の頃の私と今の私では、全く別人のようです。非常に冷めた淡々とした子どもでした。
思春期も同じくで、抑揚のないそっけない話し方でしたし、努力も人生もくだらないと、斜に構えていました。
そして「笑顔」ができませんでした。冗談を聞いて笑ってしまうことはありましたが、微笑みなど日常の笑顔ができませんでした。
しかし、18歳頃「自分を変えよう」と、決意をしました。私の家庭は本当に散々な家庭でした。
我ながら、こんな家庭で育ったら、犯罪に手を染めたりどこまでも落ちて行ってるのが普通。と思います。
でも、「たまたま生まれたところが悪かった」から、自分の人生が滅茶苦茶になって、それで終わりなんて嫌だ。と思いました。自分を変えようという決意はここからです。
まず私が行ったことは、「モデリング」です。こんな人になりたいな。素敵だな。と思う人を、ロールモデルと言って、お手本にしました。
笑顔が素敵な2人の友人をモデルとして、自分とその友人との間で何が違うのか。分析して、差を埋めていきました。
もちろん、突然別人にはなれないので、まず形から。朝、鏡を見て笑う練習をする。この繰り返しで20代後半には、上手に微笑む事ができるようになり、「感じが良い」などと言われるようになりました。
この経験から私は、「人は誰でもいつからでも変わることができる」と思っています。
夢をもつこと。それを語ることの大切さ。
3つ目は、「夢をもつこと。それを語ることの大切さ。」です。
これを実践したのは、33歳頃です。
私は25歳からパソコン簿記会計の講師として、自営業で活動をしていました。また、専業ではなくて良いので、いつか講演講師になりたいという思いを持っていました。
自分の生い立ちからの想いがあり、晩年には女子刑務所などで講演を行い、一度過ちを犯してしまった、つまずいてしまった彼ら・彼女らの再起の一助となりたいという想がありました。
また、非行や引きこもりなどの若者を「同胞」であると、当時も今も思っています。
そんな志を持ち、赤ちゃんを抱えた私は、仕事と大家族7人分の家事・育児・農業の手伝いもしながら、自己研鑽に励んでいました。
全国には男女共同参画センターという施設がありますが、高知にも同じものがあり、「ソーレ」という愛称がついています。
他にも様々な無料や安価なセミナーに参加しましたが、当時、特にこのソーレのセミナーでの学びが非常に有意義かつ助かりました。
意欲的な女性が集まっていて、刺激的な会話がなされること。特に大事な事が「ワンコイン託児」がついていたことです。
500円で丸1日のセミナー中、娘は別室で託児の先生と一緒に楽しく遊んでいました。お昼ご飯の時は託児はなく、子どもと一緒に食べて子守をしないといけなくて、他の受講生と一緒にランチ談義をすることは叶わず、後ろ髪を引かれる思いでしたが、託児付きセミナーは、本当にありがたかったです。
そうして多くのセミナーに出ていると、講師の話されることに「共通点」があるのに気づきます。
その中の1つが「夢をもつこと。それを語ることの大切さ。」です。特に印象に残っているのが、1講演50万円の売れっ子講師、大谷由里子先生の言葉です。
元吉本興業での横山やすしさんのマネージャー経験などを元に講演をされていて、今は講師育成の事業も成功されている方です。
「叶うか叶わんか。今できんとか関係ない。今できんでもえいから、私はこういうことをやりたいんです。いつかこうなりたい。こんな夢があるんです。って、会うた人に言うんや。」みたいなことを言われたと記憶しています。言い回しはおぼろげです。
その言葉を実践し始めて、徐々に自分を取り巻く環境が変わりました。
ひとつは、当時ビジネスマナー講師への転換を目指していた私は、高知市内の学校全てに「自分ダイレクトメール」を送りました。
職場体験前のマナー研修講師を承ります。というPRチラシでした。
パソコンの授業は慣れていますが、マナー講師は全然自信がなく、足が震える程でした。 でも郵送し、学校によっては直接届けご挨拶もしました。
母校中学校での200人規模のマナー講演
この「自分DM」全くの空振りでした。しかし、2年後だったでしょうか?何件か職場体験前マナー研修のご依頼があり、日頃は45人などの「授業」レベルの講師しかしたことがない私が、約200人の学生の前で、体育館のステージに立ち、マナーを語るという機会を何度もいただきました。
その中には、母校である西部中学校もありました。
正直、私は、冒頭で述べたように凄惨な生い立ちの上に、幼少期より親から「勉強するとバカになる。義務教育という悪い法律があって、学校に行かさないと警察に捕まるから仕方なく行くんだ」と教えられ、完全に洗脳されてしまっていました。だから授業をまともに受けた経験が小学も中学もほぼありません。
学校は行ったり行かなかったり、重役出勤で昼から行ったり、中間や期末テストはほぼ白紙で出していました。テスト期間は半日しかないので行きましたが、テストには解答せず、マンガを読んでいました。堂々と。それでも注意されないくらい呆れられていました。
また、ある時は、170cmは超えているような、超不良男子生徒に授業中「ば~か」と言われたことがきっかけで、教室の端から助走をつけて、飛び蹴りをして机をガラガラ倒して乱闘をしたこともあります。そんな14歳頃の私。
母校である西部中学校から来た依頼は、約200人の生徒の前での「マナー講師」。
私がマナー。マナー。マナー。マナー悪かったよね。と、頭の中でリフレインしました(笑)
当日は、まず校長室でお茶を出していただき、名刺交換をして、出番まで校長先生と歓談。あまりに感慨深くて、仕事中は、マナー講師っぽい落ち着きと上品な言動で対応しましたが、行き帰りの車中では、涙が止まらなくて、行きも帰りも大泣きでした。
自分が努力して来た結果、変わったということ。そして、あんなに素行が悪かった母校での講演級のマナー研修をしたこと。
30代半ばでしたが、なんというか、大きな山をずっとコツコツと登って来て、やっと自分の道のりを振り返ってみるところに来た感覚でした。
「自分を変える。ここから這い上がるんだ。」という、私にとっては大きな山。足元や目の前を見て、こつこつと歩いて来て、ふとこれまでの歩みを振り返った。
ちょっと首を動かして背中越しに、これまでの歩みを見てみた。そんな感慨深い気持ちで涙が止まりませんでした。今、この原稿を書きながら思い出し、やっぱり涙が流れます。
「夢を語ることの大切さ」について1つ目のエピソードが母校でのマナー講演でした。2つ目のエピソードが130人規模の一般向け有料講演を行ったことです。
コラボ講演でしたが、私の友人知人が90人ほど来て下さったことで、私の講演の持ち時間が長くなり、1時間ほど自分の半生を語りました。
今、この文集に寄稿しているようなことを語った訳です。これが本当の私の講演家としてのデビューでした。なぜこれが「夢を語る」と繋がるのか。
私は、19歳で専門学校を経済的理由により中退してから25歳まで大変簡単な一般事務をしていました。コピーを取ったり、頼まれたワープロ文書を作ったり、お茶汲みが最大のミッションのような簡単なことをしていて、人前で話したこともロクにありませんでした。
先行きに危機感を感じ、25歳から手に職を付けようと、半年間、パソコン・簿記会計・給与計算などの職業訓練校に通った後、突然思い切って、パソコンインストラクターになりました。
その後、要望があり簿記会計も教えて欲しいということで、幅は広げましたが、あくまでも、毎日技術の指導の授業をしていました。
それとマナー講師や講演講師は全く違います。企業での実務実績や指導の経験、自分自身の人生経験を語らねばならないのです。
今は無理だと30代半ばの私は固く思っていました。学生になら話せても、大人に向けて話すには、語る中身が無さすぎると思っていたからです。
でも前述の大谷由里子先生の言葉を胸に「今はできないけど、“いつか”講演講師がしたいんです。」と出逢った人に言いました。
また、30代半ばの私は、一時目指したマナー講師は、本業には向いていないという結論に至り、依頼を受けた時にする程度で、再度の方向転換で、カウンセラー・人材育成コンサルタントを目指していました。離婚して、家を借り、娘と2人切りの生活をし始めた時に決めたことです。
既に行動を開始し、平日は仕事。休日は1~2日間丸1日カウンセラー養成講座などの研修を受講。
夜も経営の勉強にと出かけていました。子どもを預ける人はおらず、有料の託児所やファミリーサポートセンター(送迎も可能)を活用し、寸暇を惜しんで勉強し、娘に埋め合わせにお菓子を作ったり、一緒に遊びに出かけたりとしていました。
今の年齢なら体力が持たなかったと思います。30代後半でもきつかったので、運動で体を鍛えながら乗り切りました。
そんな私が名刺交換する際に、「今はできないけど、いつか講演したいんです」という訳です。
その中で出逢った、全国をまたにかけてスーパーマーケットのコンサルをしている先生に「自分面白いなぁ。一緒に講演しようや」と突然言われたんです。
その先生は、非常に有名な、商業界という出版社から本も出しており、派遣講師としてもHPに載っている知名度も実力もある先生で、その投げかけに、ひっくり返るほど驚き、「無理です無理です。先生は実績から話すことがありますけど、私は講演と言ってもパソコンや簿記会計を教えているだけで、話すことがありません!!」と、思い切り固辞しました。
しかし、押し切られ、20人位の持ち寄り飲み会の最中、即席のプラカードを作られ、持たされ、「2014年の1月26日に講演をします」と宣言させられて、あれよあれよという間にそうなっていました。
そんな時に、予行演習と言ったら失礼ですが、以前配っていた、「自分DM」の成果で、中学校で200人近くのマナー講話をする機会があり、有難かったです。
これ以来、苦難ももちろんありましたし、辛くて消えてしまいたいような出来事もありましたが、数年単位で見ると、自分の願う道に進んでいます。
義務教育も受けられなかった私ですが、高知県の教育委員会から新規採用の教職員300人余り全員への内定前研修のご依頼が来て、講演をしたり、同じく国や県などから、相談員育成や、弁護士や司法書士など士業の方向けの心理セミナーのご依頼をいただいたりしています。
母校 高知女子高等専門学校(現在の太平洋学園高等学校)
最後に私と母校である太平洋学園高等学校との出逢いを語ります。
現在は、多様な学びを支援する高等学校として、不登校や様々な困難からの再生を図る生徒がほとんどですが、元々は、戦後の次世代を担う子ども達を育むため、良妻賢母を育てるという理念で設立された和洋裁学校でした。
私が学生の頃は、バブル景気真っただ中で高学歴時代。しかし私の家は高校に行ける家ではなく、兄4人も全員が中卒。
400人近くの同級生の内、就職組が集められた部屋には私を含め、数人しかいなかったことを覚えています。私は、高校に行く気は一切なく働く予定でした。
しかし、ここで大きな転機がありました。実家は自営業でしたが、取引先の奥さんが「ふみちゃんは、きっと、かしこい子やと思うき、高校に行かせてあげて欲しい」と母を頼み込んでくれたのです。
表向きは、子どもが勉強嫌いだから誰も高校行かない。という建前だったので、体裁のため私は突如として高校に行くことになりました。
私は8人家族の家事を小学生からほぼ1人でしていたので、アルバイトはできず、「学費がもったいない!」と半狂乱になって母から怒られながらではありましたが、転機でした。
それが女子高だった高知女子専門学校です。通信制高校と併設で、高知女子高等学校との2枚の学生証がありました。
義務教育は仕方なく行くと洗脳されていた私ですが、高校は、わざわざ行くのですから、真面目に授業を聞いてみました。すると自分は勉強が好きで、理解力も高いということに気づいたのです。
その時、小中の9年間の取り返しのつかない時間の重さに、愕然としたことを鮮明に覚えています。
高校から45歳の今まで学び続け、高校では洋裁1級を取りました。試験はスーツでした。生徒会が新設され「初代の生徒会長」になりました。
その縁は、今も繋がっており、デビュー講演会に約90人の友人知人が来てくれた、その中に母校、太平洋学園高等学校の光富祥校長先生が来てくれたのです。
すぐ母校から進路相談員・校友会の会長・法人の評議委員の3つの依頼をいただき、現在も務めています。
小学校以外の全ての母校、つまり中退した専門学校、職業訓練校全てで私は、講師や職員の方の人材育成などを担当して来ました。
私のこの経験が皆さんのお役に立ち、今より少しでも幸せや、光差す日々に向かっていただくことを祈念いたします。
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